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  • 執筆者の写真フクモ陶器

恐るべき陶芸力の世界(杭州滞在記 その④)

更新日:2020年11月3日

杭州滞在中の週末、どこかに連れてってもらうことが多かった。この時は、学生ボランティアの王さんとリュウさんが南宋官窯博物館に連れてってくれたのだった。


ひと通り展示を見て、その博物館内の片隅にある市民ギャラリーみたいなのに入ると、そこで開催されていた子供陶芸展にフクモ陶器は心を奪われた…!

こ、これはすごいぞ…!皿と魚までが陶、箸は本物の箸。極めてフクモ的だし、魚料理のリアルさがものすごい… 淡水魚特有の色合いや、少しとろみがついているであろう煮汁の様子、白身魚の断面、全てが完璧に表現されている。それでいて、ただの模刻や再現にありがちなつまらなさを、まるで感じさせない。成熟した「表現」である。



やはり「食」に関する情熱はただならぬものがある。

上の写真の餃子と小籠包は、本物の皮のごとく粘土の皮で包んである。その淡々として執念深い手作業に、静かなパッションを感じる作品。

下の写真は、ドリンクシリーズ。おそらく実物大と思われるその作品群、そのままコンセプチュアルアートたりえる堂々のクオリティである。



こちらは、お金をモチーフにした作品。

真ん中に時計があるので、おそらく「古代〜現代のお金」というコンセプトなのかな。貝〜アリペイ、というところがいかにも中国!

余談だが中国では、いまや携帯決済(アリペイかwechat)が主流。現金が使えない店も多い。こちらが現金を出すとちょっと驚き、奥の方から出してきたお菓子の缶から古びたお釣りを出してくれたりする。

現金はもはや古銭なのだ…


これは何だろうな。蓮を見ながらお茶の時間…みたいな感じかな。

杭州は、龍井茶という有名なお茶の産地でもある。


だからなのか、お茶モチーフも多かった。




そして、建築モチーフもたくさんあった。どれも特徴をよく捉えていて一目で中国建築と分かるし、建物だけではなくてランドスケープを作ろうとしてる感じがする。真ん中の写真の作品などは特に、書き割り的な表現がとても面白い。


これは建設中の都市だろうか。ほんわかしたイラスト風。



お風呂、洗面道具類。なぜこれをモチーフに選んだのだろうか。などという疑問を造形力でねじ伏せる。


リスと目覚まし時計。シュール。秋っぽい色合いに統一されている。



こうして改めて見て思うのは、なぜ彼らはこんなに自由なのかということだ。子供だからもちろん発想が自由なのだ、だがここで感じた自由はそれとは違う。それはフクモ陶器が学校を卒業して何年も経てから得たような自由である。


これらは紙粘土細工ではなく、焼き物。焼き物は作る上で色々な制約があり、形も思うようには出来ないし、色も思うようには出せない。とくに初心者や子供たちは。そう思っていたし、日本で子供に教えてても実際そうである。


しかし、ここの子供たちは思いどおりの形を作り、思い通りの色を出しているように見えるのだ…!それは、学生時代のフクモ陶器などよりも余程自由に…!


この自由は、「陶芸力」と言い換えてもいいだろう。つまり、この子供たちは、異常に陶芸力が高い。もし陶芸力を計れるスカウターがあったとしたら、瞬時にボンッと爆発してしまうことだろう…!たぶん陶芸力55万くらいあるぞ…


以前、言語を習うのが趣味の人が、「陶芸も言語のようなものである」と言っていたことがあった。その時は意味が分からなかったフクモ陶器だが、今なら分かる。

陶芸力は、言語能力に近い。己の中の何かを、人に伝えるための術のひとつだ。これが喋れると、古代の人とも話せるんだよ。


ここの子供たちは、ネイティブに陶芸語をペラペラと操れるのだ。それは、中国人だからなのか、たまたまここに集ってた子供たちがスーパーサイヤ人なのか、はたまた別の理由なのか。


中国美術学院の学生さんたちは、多言語を操れる人がとても多かった。中国人は耳がいいから、言語の習得が得意なんだなあ…とかぼんやり思っていたけど、陶芸語も得意なら、耳とか関係ないぞ。

高い陶芸力を持ってすれば、こんなカワイイ物体もお茶の子さいさいだ… 家に欲しいくらいだコレ…


ちなみに、同行してくれた王さんは陶芸教室でバイトをしてるんだけど、そこの教え子さんたちもちらほら出品していた!

ということは、王さんの陶芸力も計り知れないぞ…!そして王さんはマルチリンガルでもあるのだ…!(中国語と英語と日本語そしてスペイン語にも手を出そうとしていた)


次回は、そんな王さんのバイト先に遊びに行った時のことを書くよ(たぶん)。

お楽しみに!






 


















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