最近読んだ本。その名は「ピダハン 『言語本能』を超える文化と世界観」。面白かった。
アマゾンの奥地に住んでいる「ピダハン」という先住民族。
アメリカ人のキリスト教宣教師が布教のためにピダハンの中でしばらく暮らしてみたら色んなことに驚いたということが切々と綴られている。フクモ陶器も色んなことに驚いたね。
ピダハンの操る言葉が不思議すぎる。
過去形未来形が無い。過去や未来のことは考えないので必要ないらしい。
昼夜を表す言葉も無い。昼夜関係なく活動しているので必要ないらしい。
比較級も無い。比較をしないので必要ないらしい。
そして彼らは、自分が実際に見たり聞いたりしたこと以外は話さない。それ以外のものは信じないからだ。
結局、この本の語り手である宣教師は、布教に失敗する。それどころかなんと信仰を捨てて、家族とも別れて無神論者になってしまったのだ!
自分たちの見たものしか信じないピダハンは、神を信じる必要がなかったらしい。いたってシンプル。
宣教師の恩師がよく言っていたという言葉に「救いの前に彼らを迷わせなければならない」というものがあったそうだが、ピダハンは迷ってないし、迷わないし、現在幸せなので救いはノーサンキューだったらしい。すごいぞピダハン。
全編に通じて漂うのは、ピダハンのぶれない自己肯定感である。
周辺の別の民族やブラジル人とも交流があるのだが、彼らと比べて「貧しい」という概念を持たず、自分たちの暮らしに自信を持って満足しているのだ。宣教師たちが自分たちの村で暮らすのも、ピダハンの暮らしぶりがすばらしいから学びに来ているのだと理解しているらしい。すごいぞピダハン。
ふと、ちょっと前に見た映画「沈黙」を思い出した。
対照的すぎるなあ、、、
世界の広さにびっくり。